東京高等裁判所 昭和41年(ネ)2819号 判決 1970年1月21日
控訴人
興産信用金庫
代理人
鈴木重信
ほか一名
被控訴人
株式会社アオキ
代理人
菅谷幸男
主文
原判決を取り消す。
被控訴人は控訴人に対し金一四〇万円およびこれに対する昭和四〇年一一月月一六日以降完済まで年六分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の陳述および証拠関係は、次に訂正付加するほか、原判決事実欄記載のとおりであるから、これを引用する。
第一 控訴人の主張
一 本件手形行為の直接の相手方は受取人たる訴外甲斐工建株式会社であつて、同会社と被控訴人との間に介在した訴外香川七郎は被控訴人の使者にすぎない。そして右訴外会社においては、本件手形を作成した訴外福田和夫に手形振出の代理権(署名代理)ありと信ずべき正当な理由があつた。すなわち、訴外会社の経営の全権を委任されてその代理人であつた訴外寺田善吉は、かねて知合いの右香川より本件手形を示されて、被控訴人の経理担当重役たる福田から依頼されたのでこれを割り引いてもらいたい旨の申入れを受けた。そこで寺田は念のため訴外会社の取引先たる控訴人に銀行照会を依頼し、本件手形の支払銀行たる平和相互銀行馬喰町支店の回答によつて心配ないことが判明したため、寺田は安心して本件手形と交換に同人が代表取締役となつている訴外大和建築工業株式会社振出の手形と交換に同人が代表取締役となつている訴外大和建築工業株式会社振出の手形を香川に渡し融資の便を与えたのである。このように訴外会社において本件手形が被控訴人により真正に振り出され、かつ、その使者により割引を依頼されたものと信じてその交付金を受けた以上は、被控訴人と訴会社間の手形行為には民法第一一〇条の規定が類推適用されるべきである。
二 予備的に、控訴人は被控訴人に対し次のとおり使用者責任としての不法行為による損害賠償請求権を主張する。
本件手形を作成した福田はその当時被控訴人方に勤務し、銀行から融資を受けるにつきその交渉および借入れのための単名手形振出等の事務に従事していたところ、昭和四〇年八月一三日頃擅に本件手形を偽造して香川に交付し、その結果、善意の甲斐工建株式会社および控訴人が順次これを割り引いて、控訴人は右会社に対し割引料金一六、七四四円を差し引いた金一、三八三、二五六円を交付した。そして控訴人は本件手形を支払のため満期に呈示したがその支払を拒絶されたため、本件手形金額相当の損害を被つた。右は福田が被控訴人の業務の執行につき控訴人に加えた損害であるから、被控訴人はこれが損害を賠償すべき義務がある。
三 被控訴人主張の三に対し
(1) 被控訴人が昭和四〇年四月末日福田を解雇したことは否認する。福田は同日以降経理事務担当を変更されたが、その後も商品の仕入れ、棚卸し、配達等の事務のほか、被控訴人の資金繰りにつき銀行等との交渉および借入れのための手形振出の権限を賦与されていたものである。
(2) 被控訴人において福田の選任、監督に過失がなかつたとの主張は争う。被控訴人が当初福田を雇傭するにつき十分の調査をしたとしても、その後昭和四〇年四月末日までに経理上の不正行為が判明したにもかかわらず、引き続き金銭出納以外の事務を行わしめていたのであるから、やはりその選任につき過失があるものというべきである。また、被控訴人は会社印および代表者印の保管につき注意義務を怠り、福田の不正行為判明も依然同人が簡単にこれを使用しうる状態においていたのであるから、被控訴人に監督上の過失があつたというべきである。
(3) 控訴人は本件手形を真正な手形と誤信して割引金を出捐しているのであるから、その時に既に損害は発生している。控訴人が裏書人に償還請求するか否かは、これと関係のないことである。すなわち、控訴人が裏書人に償還の請求をするか、または被控訴人に損害賠償の請求をするかは、控訴人に任された損害填補の問題にすぎない。なお、かりにそうでないとしても、甲斐工建株式会社には支払能力がなかつたから、控訴人の損害の発生に変りはない。
(4)(イ) 被控訴人主張三(4)(イ)の事実中控訴人が本件手形につき被控訴人に照会しなかつたことは認めるが、被控訴人の取引銀行に照会しなかつたことは否認する。控訴人は本件手形の割引に際し、被控訴人の取引銀行たる平和相互銀行馬喰町支店に対し照会手続をとつているのである。なお、控訴人が直接被控訴人に照会しなかつたからといつて、そのことにより控訴人に過失があつたものといわれるべきではない。金融機関においては、その集団的事務処理の迅速性と外観主義尊重の立場から、銀行照会による調査の程度で割引に応ずるのが一般の慣行となつているからである。
(ロ) 本件手形に被控訴人主張のような押印がなされているとしても、かようなことはままあることであつて、必ずしも不自然な外観を呈していたものとはいえない。
(ハ) 裏書人たる甲斐工建株式会社の資力等につき特に調査をしなかつたとしても、金融機関による信用調査は各取引行為ごとになされるのではなく、一定期間をおいて決算書類等を提出させて書類調査をするのが通常であり、右会社については従前提出されていた書類によつてはその資力の悪化を判断しえなかつたにすぎない。控訴人としては、右会社を経営管理していた寺田が大和建築工業株式会社の社長であつて、同会社と控訴人との取引は当時なんらの支障もなく継続されていたから、同じく寺田の経営する甲斐工建株式会社をも信用していたわけである。
(ニ) 被控訴人主張の三の事実は否認する。
(ホ) 控訴人が甲斐工建株式会社に遡求しなかつたのは同会社に返済能力のないことが判明したからである。
第二 被控訴人の主張
一 原判決原本六枚目表九行目の「第四項」とあるのを「第三項」と訂正する。
二 控訴人主張の一の事実は争う。
本件手形は偽造であり、しかも代理人名義でなく直接本人名義で作成されているから、代理の概念を容れる余地がなく、したがつて表見代理の規定の適用はない。かりにその適用があるとしても、本件手形の受取人たる甲斐工建株式会社は従来被控訴人とは取引なく、その代表者等とも面識はなかつたのであるから、その割引に当つては、当然被控訴人に照会確認すべきである。それにもかかわらず、これを怠つたのであるから、右会社には真正な手形に信ずべき正当な理由はなかつたというべきである。なお、控訴人は民法第一一〇条における第三者に当らないし、かりにそうでないとしても、後記三(4)の諸事情から明らかなように、控訴人には同条にいう正当な理由はなかつたものである。
三 控訴人主張の二の予備的請求に対し
(1) 被控訴人は昭和四〇年四月末日をもつて福田和夫を解雇しているのであるから、本件手形作成当時には同人との間に雇傭関係はなく、したがつて被控訴人に使用者責任が生ずるわれわれはない。
(2) 被控訴人が福田を選任するに当つては、被控訴人代表者の妹の夫たるべき者としてその人物等を慎重に調査したわけであり、また解雇までの間、被控訴人としては個人会社である関係上、常時福田を個別的に指揮監督していたのであるから、その選任、監督につき過失はない。
(3) 本件手形には甲斐工建株式会社が裏書しているところ、各手形行為者は手形の支払につき合同責任を負うものであるから、たとい当該手形が不渡りとなつても、裏書人に遡求権を行使し、その履行があれば手形所持人になんらの損害を生じないわけである。したがつて手形所持人に損害が発生したといいうるためには、裏書人に対し遡求権を行使したが償還がえられなかつたことが判明した後でなければならない。しかるに本件においてはかかる事実は認められないから、控訴人には未だ損害は発生していない。
(4) かりに被控訴人に賠償責任があるとしても、控訴人には次のような過失があるから過失相殺されるべきであり、しかも控訴人の過失は重大であるから、控訴人の請求はすべて棄却されるべきである。
(イ) 控訴人は本件手形の割引に当り、被控訴人になんら照会しなかつたのみならず、銀行照会すらしなかつたのであるから、通常行わるべき調査を怠つた過失がある。なお、控訴人が被控訴人の取引銀行たる平和相互銀行馬喰町支店に照会しなかつたことは、被控訴人が偽造手形の出始めた昭和四〇年八月右銀行にその旨を告知した結果、同銀行においてはこれに応ずる態勢をとり、同年九月二日には同銀行のすすめによつて被控訴人が福田を告訴したこと等の事実から明らかなことである。
(ロ) 本件手形においては、振出名義人の箇所に三つの印が押され、そのうち二種類の印が代表者名の横に半分ずつかかつて押されていること、金額欄に捨印まで押されていること、控えの切取部分にも二種類の印が押されていること等からみて、振出の真正につき当然疑問がもたれるにもかかわらず、控訴人が前述のように調査をしなかつたのは過失である。
(ハ) 手形の合同責任者としての裏書人たる甲斐工建株式会社は、昭和三九年頃から経営困難に陥り銀行信用零の不良会社であつたにもかかわらず、控訴人がその資力等につきなんらの調査をしないで本件手形を割り引いたのは過失である。
(ニ) かりに控訴人が銀行照会をしたとしても、三〇万円ないし五〇万円位までなら懸念ないでしようとの回答があつたというのであるから、、一四〇万円の本件手形を割り引いたのは過失である。
(ホ) 控訴人が裏書人に対する遡求権を昭和四一年一一月一六日をもつて時効にかからしめたのは過失である。
第三 立証関係<略>
理由
控訴人が本件手形たる金額一四〇万円、満期昭和四〇年一一月一五日、支払地および振出地東京都中央区、支払場所平和相互銀行馬喰町支店、振出日同年八月一一日、振出人株式会社アオキ(被控訴人)、受取人甲斐工建株式会社と記載された約束手形一通を所持し、満期に支払のため呈示したが支払を拒絶されたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証の二(本件手形の裏面)によれば、控訴人が右受取人から本件手形の裏書譲渡を受けたことが認められる。
ところで被控訴人は、右手形は訴外福田和夫により偽造された旨主張し、これに対し控訴人は、かりにそうであるとしても、被控訴人は表見代理の法理により振出人としての責任を免れないと主張するので、以下この点につき検討する。
福田和夫が昭和三九年一月頃被控訴人代表者青木淳の妹澄江と婚姻し、妻の氏を称し、爾来被控訴人の社員となつたこと、およびその後離婚により復氏していることは当事者間に争いがない。原本の存在および<証拠>を総合すると、福田和夫は被控訴人の経理事務を担当させられて、金銭出納、銀行等よりの資金借入れの折衝手形小切手の振出等を任され、銀行等取引先からは一般に「常務」と呼ばれていたところ、昭和四〇年四月頃その権限の一部を制限されて金銭出納事務は代表者または他の役員が行い、また手形の振出等については代表者等の指示を受けるように命ぜられたが、その後も福田は商品の出し入れ、記帳事務のほか、資金の調達にたずさわり、銀行の割引枠内での単名手形や書替手形の振出、仕入代金支払のための小切手の振出など正常な通常業務についてはいちいち代表者等の指示を受けることなく行い、これを黙認されていたこと、また会社の記名印や代表者印等も従前と同様に福田の自由に使用しうる状態におかれていたことが認められる。被控訴人は福田を昭和四〇年四月に解雇したと主張するが、これを肯認しうる証拠は見出し難く、また右認定に牴触する原審における被控訴人代表者の供述部分は採用できず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。
ところで被控訴人代表者振出名義の記名および名下の印影が被控訴人の記名印および印鑑により顕出されたことについては<証拠>によると、福田は昭和四〇年六月他会社名義の約束手形を偽造して被控訴人の運営資金に当てたことがあるが、同年八月にいたると、被控訴人名義の手形小切手等を多数擅に作成して、友人を通じこれを割り引いて自己の用途等に当てたり、または友人に金融のため貸与するようになつたこと、本件手形もその中の一通であつて、福田は同月一三日頃無断で被控訴人の記名印よびお代表者印を用いて受取人欄白地の本件を作成し、これをいつたん訴外須藤良衛に貸与したが割引が得られなかつたため、その返還を受け、次いでこれを訴外高野隆司に預け、さらに同人より受け取つた訴外香川七郎が、甲斐工建株式会社の経営を任されていた知合いの訴外寺田善吉に対し、被控訴人の資金繰りに必要だから割つてやつてもらいたいと申し入れたので、寺田は右訴外会社を代理してこれに応ずることとし、本件手形と交換に同人が代表取締役をしていた訴外大和建築工業株式会社振出の約束手形数通(その合計で本件手形と同一金額)を交付し、後者の手形はその後いずれも支払を了していることが認められ、右認定に反する原審証人高野隆司の供述部分は措信し難く、他にこれを左右するに足りる証拠はない。そうだとすると、これと前記認定の事実とを対比すれば、福田としては、本件手形のような通常業務に属しない手形の振出についてはその権限がなく、同人がその権限を逸脱して本件手形を作成したものにほかならないといわなければならない。
被控訴人は本件手形は偽造手形であり、また本人名義で作成されているから、表見代理の規定の適用はないと主張する。なるほど、無権限者が本人名義の手形を振り出した場合は偽造であつて、本人は原則としてその責に任じないわけであるが、しかしそれだからといつて、この場合に表見代理の法理の適用を否定すべき理由はなく、また手形の振出が手形上直接に本人名義で現わされるいわゆる機関方式によつてなされた場合でも、第三者が権限ある者により振り出されたものと信ずるにつき正当な理由があるときは、いわゆる代理方式による振出の場合に準じて、表見代理に関する規定が類推適用されるべきであるから、、被控訴人の右主張は採用し難い。
よつて本件手形の受取人である甲斐工建株式会社に右の正当な理由があつたか否かについて、次に考察することとする。
<証拠>によると、寺田は香川より本件手形の割引を依頼された際、偽造の手形とは知らず、なお念のため振出人の信用調査をするために、昭和四〇年九月三〇日頃本件手形を持参して甲斐工建株式会社よびお大和建築工業株式会社の取引先たる控訴人を訪れ、その調査方を依頼したこと、よつて控訴人の係員市ケ谷仁義は、本件手形の支払銀行であり被控訴人の取引先である平和相互銀行馬喰町支店に対し電話により被控訴人の信用調査を行い、その回答に基づいて寺田に対し手形の決済に懸念はないと告げたので、寺田は香川の申入れに応じ本件手形を取得するにいたつたことが認められる。もつとも、<証拠>によれば、福田の右手形類偽造の事実は同年八月下旬被控訴人においてこれを察知し、直ちに平和相互銀行馬喰町支店その他の取引銀行に対し被控訴人名義の手形等が廻つてきた際の連絡方を依頼し、また同年九月二日には福田に対する告訴の手続をとつたことが明らかであるが、かかる事実があるからといつて、このことにより前記の銀行照会およびこれに対する回答のあつた事実を否定しなければならないわけではなく、また前記認定に反する当審証人桜井敏男の供述部分および原審証人高野隆司の供述中銀行照会で三〇万から五〇万位までなら懸念ないでしようといわれたとの部分はいずれも採用し難く、他に前記認を覆すに足りる証拠はない。なお、被控訴人は本件手形には二種類の印が押されていること等により当然その真正につき疑問をもつべきであつたと主張するが、本件手形たる前示甲第一号証の一によると、振出人欄横書の被控訴人記名印の右側に「取締役社長之印」と「青木」と刻した二種類の印が押され、右「青木」の押印は薄れていて、さらにその横に「青木」の印が押されていること、同手形の控え切取部分および収入印紙の部分に右二種類の印がそれぞれ押され、また金額欄に青木の印が押されていることが明らかであつて、かかる押印の方法がとられているとしても、これをもつて特に不自然な外観を呈しているものとはいえず、このことによりその作成の真正につき当然疑念を抱くべきであるということはできない。さらに被控訴人は寺田において直接に被控訴人に照会確認すべきであつたと主張し、寺田がその際被控訴人に照会しなかつたことは当事者間に争いがなく、また寺田およびその経営にかかる両会社が従来被控訴人とは取引関係なく、被控訴人の役員とは面識がなかつたことは弁論の全趣旨により明らかであるが、振出人未知の手形であるからといつて、その取得の際に常に振出人に対し直接に照会すべき注意義務があるとはいい難いから寺田がこれをしなかつたことをもつて同人に過失があるということもできない。
寺田としては、右認定のように、福田がその権限を超えて振り出した本件手形が真正に作成されたものと信じ、またこれにつき疑念をもつべき事情はなかつたが、なお念のため被控訴人の信用につき銀行調査を行い、その回答に基づいて香川の申入れに応ずるにいたつたのであるから、かく信ずるにつき過失はなかつたというべきであり、したがつて本件手形の受取人たる甲斐工建株式会社においては、それが正当に振り出されたものと信ずべき正当な理由があつたといわなければならない。なお、右訴外会社が本件手形を取得するに当つては、その間に香川等が介在しているが、同人らは本件手形を自ら取得して右訴外会社に譲渡したという関係にないことは前記認定の経緯に徴し明らかであつて、同会社は受取人として本件手形行為の直接の相手方であつたというべきである。
以上の次第で、本件手形の受取人たる甲斐工建株式会社はその手形上の権利を有効に取得し、被控訴人はこれが支払の責に任ずべきであるから、同会社より裏書譲渡を受けた控訴人においては当然被控訴人に対し本件手形上の権利を主張しうるわけであり、してがつて控訴人が被控訴人に対しその手形金一四〇万円およびこれに対する満期の翌日たる昭和四〇年一一月一六日以降完済まで商事法定利率たる年六分の割合による金員の支払を求める第一次請求は理由があるものとしてこれを認容すべきである。
よつて、これと異なる原判決は失当として取り消し、控訴人の本訴請求を認容し、訴訟費用の負用につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して主文のとおりに判決する。(青木義人 高津環 浜秀和)